W杯イラク戦、そしてキリンチャレンジカップに向けた招集メンバーを見てみると、そこには聞きなれない名前があった。
加藤恒平、ブルガリア1部のPFCベロエ・スタラ・ザゴラに所属する27歳だ。
ほとんどの人は耳にしたことがない選手だろう。
それもそのはず、京都の立命館大学を卒業してからは、そのサッカー人生のほとんどを海外で送ってきた。それもモンテネグロやポーランドなど、マイナーな国でだ。
学生時代に挑戦したのはアルゼンチン。
入団テストを受けるつもりが怪我で断念する。それでもあきらめず、1年後には再びアルゼンチンへ。
しかし災難は続き、せっかく契約を掴んだにもかかわらず、VISAが降りずに断念せざるを得なかった。
帰国してからはFC町田ゼルビアに所属するも、海外志向、もっと高いレベルでのプレーを希望していた加藤はモンテネグロ1部のチームに移籍する。
モンテネグロではベストイレブンに選ばれるなど活躍を見せ、チームも1部を制覇している。
2015年にはポーランド、2016年6月には現在のブルガリアに渡っている。
早い段階から海外に挑戦することで視野が広まり、タフさも身に付く。
有名なチームに所属しているわけでもなく、ニュースで取り上げられていたわけでもない彼が、ガットゥーゾを彷彿とさせるような中盤での激しい守備を買われて代表メンバーに抜擢された。
このケースは日本人サッカープレイヤーにとって“新しい道”と言える。
現在のところ、Jリーグである程度の実績を積んでから海外へというのが最もメジャーな流れである。
しかし今回の加藤のように、マイナーな国であっても過酷な環境に飛び込み、揉まれ、日本では得ることのできないものを身に付けて評価されるというケースがこれから増えてくるかもしれない。
実際、海外の様々なマイナーリーグで日々戦っている日本人は多い。
今回の加藤のケースは、そんな海外組みにとって大きな励みになるものだったのではないだろうか。
日本のサッカーのスタイルも今後変化していくかもしれない。