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セビーリャ清武選手のJリーグ復帰が決まりました。
マインツなどからオファーも届いていたようですがそれを蹴っての今回の決断。
かなり悩み抜いて日本へ帰ってくることを選んだ清武。
そこで今回は、
欧州でプレーし、その後Jリーグに戻った選手3人の経歴
をご紹介します。
1人目は中村俊輔。
1997年~ 横浜マリノスでJリーグデビューを果たし、ベストイレブン、最優秀選手賞などの活躍。2002年のワールドカップでは代表に召集されるものと皆が期待していたが、怪我やトルシエ監督の意向と合わず落選。
その年、セリエAのレッジーナに移籍。持ち前のFKで魅了し、3年目にはレッジーナの歴代ベストイレブンに選出。
2005年~ セルティックに加入。スコティッシュ・プレミアリーグで年間最優秀選手賞など様々な賞を受賞。2009年になり古巣の横浜F・マリノスからオファーがあったがこれを断りスペイン1部のRCDエスパニョールへ。
しかしこのチームではうまく適応できず、2010年に横浜F・マリノスへ戻ることに。
それから2016年までは横浜で活躍し、遠藤が持っていたFKの最多得点記録を破る。
5季連続横浜で主将を務めていたが、2017年、サッカーに向き合い燃え尽きたいと、ジュビロ磐田への移籍を決意。
2人目は小野伸二。
1998年、浦和レッズでプロデビュー。
18歳にしてA代表にも召集され、新人王、ベストイレブンなどを受賞。
2001年~ フェルノートに入団。すぐさまスタメンを獲得し、その年にUEFAカップ優勝というビッグタイトルを掴む。
フェルノートには5年間所属していたが、2006年からは浦和に復帰。しかしその2年後にはブンデスのボーフムに移籍し、もう一度海外で戦うことに。
2010年~2012年は清水エスパルスに所属。当時30歳、ベテランとしてチームをまとめた。
32歳ではさらに海外に飛び、オーストラリアのシドニー・ワンダラーズで2年間を過ごし、チームからはMVP,リーグベストイレブンに選出されている。
以降はJ2のコンサドーレ札幌でプレーしている。
最後は高原直泰。
プロデビューは1998年、ジュビロ磐田にて。
2001年、最近中国に移籍移籍したテベスの元チーム、アルゼンチンのボカジュニアーズよりオファーを受けたが、2002年にはアルゼンチンの通貨価値が1週間で半分になるほど経済情勢が悪化し、契約解除となる。
ボカから契約解除となった高原選手はジュビロ磐田に戻り、22歳、史上最年少で得点王を獲得。
その後はブンデスのハンブルガーへ移籍。
2006年までこのチームで活躍し、同ブンデスのフランクフルトへと戦いの場を移す。
フランクフルトでは1部残留に大きく貢献し、ファンが選ぶMVPにも選出された。
3年の契約期間を終え、浦和レッズに入団。しかし、2010年ごろからはチームの戦力になれない状況が続き、韓国の水原三星ブル-ウィングスへ移籍。韓国の地では高原らしさを取り戻し、チームに大きく貢献した。
その後は清水エスパルス、東京ヴェルディー、J3のSC相模原と渡り歩き、2016年には沖縄で自ら沖縄SVとう社会人チームを立ち上げた。
以上、海外で挑戦した日本人3人でした。
清武選手も一旦日本に戻ってまた海外で、ということもあるかもしれません!