アーリーリタイアはつまらない? ~今日は昨日の相似形~

仕事を辞めて半年近く、引きこもり主夫生活を始めてから早くも一年近くが経ちました。もう大分この生活に離れました。家事も適当にこなせるようになり、面倒臭くも美味しいご飯が作れるとちょっと楽しかったりもします。

ずっと念願だった犬を飼い、理解の有るPuchiと生活し、辛いだけになっていた仕事もなく、開放感と喜びに満ち溢れた生活。「これからは何でも何時でも自由に出来る!」最初の数ヶ月間はこんな高揚感に包まれて特に何もしなくても幸せだと感じていましたが、慣れてしまったのかもうこれが“普通”に感じる様になってしまいました。

何をしていても別に辛くはないのだけれど、どうも何かが満たされない感じ。別にこのままでもいいけど何か勿体無い感じ。

 

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 快楽順応 

ぼんやりとそんな気持ちを抱えていたところ、アーリーリタイア本を執筆されている内山直さんのブログでこんな記事を見つけた。

 ・アーリーリタイアの喜びを維持するために気をつけなければならない、もっとも大切なこととは?

 

記事によると、楽しいコトに慣れて感じなくなってしまうことを「快楽順応」と言うそうで、それを遅らせる方法として、

 1)感謝する

 2)学ぶ

 3)変化に富んだ生活をする

が挙げられている。

 

Tochiの場合、土日になるとPuchiがやたらお出かけしたがるので多少は変化がある生活であるが、特別新しいことを学んではいないし、そう言われれば「感謝ってナニ?」っていうレベルの思考回路で生活している。でも感謝を仮に「自分の恵まれた環境を積極的に意識する機会」であると捉えるならば、案外こういう発想の仕方が満足感や幸福感を生む一番のキモなのかもしれない。

 

 予想外のラッキー = 幸福? 

感情を生み出している脳の仕組みからこの現象を捉えるならば、ドーパミンの放出が好例かもしれない。ドーパミンはタバコを吸ったりコカイン等の麻薬によって放出されることが知られている物質であり、快楽物質などとも呼ばれている。

これがいつ放出されるかを調べてみると興味深い。もちろん快楽によって放出されるのだが、最初のうちは快楽によって出ていたはずのドーパミンも、快楽を与え続けるとその内出なくなってしまう。そこで快楽刺激を一旦辞め、次はランダムな時に快楽を与えるとまた出始める。このため、ドーパミンの放出は快楽の期待と、実際に得られた快楽との誤差を表しているのではないかという仮説がある(報酬予測誤差)。

 

報酬とドーパミンの関係

横軸:時間、縦軸:テストの繰り返し、点々:ドーパミンの放出、R:報酬、CS:報酬を予測させる刺激、TD:時間差

 

ドーパミン自体は足りなくなると、映画「レナードの朝」にも出てきたような体が動かなくなってしまうパーキンソン病になることなどから、単に快感に関係しているだけではなく、他にも多様な役割があると考えられている。とはいえ、ドーパミンを出せば幸せになり、それが生きることの目的とするのであれば、ご飯の時間や回数をランダムにする(=予想できないラッキー)か、軽い運動をする(=ドーパミンレベルが上がるらしい)、ないしはタバコ(もしくは、、)でも吸うのが一番手っ取り早い方法なのかも知れない。

 

 新しい事より新たな方法? 

昨日は今日と一緒。これだと何をしていても直ぐに詰まらなくなるのは薄々気がついている。だから暇で元気なときは色々手を出す。

家庭菜園やマリンスポーツ、料理に投資などが正にコレ。今後も旅行や読書、PS4(ゲーム)と飽きないように矢継ぎ早に新しいことに手を出す予定。確かにある程度は楽しい。でも何だか余り楽しくない。

それもそのハズ、新しいことと言ってもこの歳になると大抵似たようなことは既に経験しているし、その結果の喜びも既に多くを経験している。だから得られる報酬もだいたい予想がつくので、予想に近い報酬にドーパミンが「あ、あぁ。」となる訳だ。

 

では、コレすら打破するにはどうしたらいいのだろうか?

簡単に思いつくのは、

 ・ヒトとのコミュニケーション

 ・新しいことに取り組む理由やアプローチの方法を変える

 

こと。要は報酬の予想が容易につかないこと(=危ない可能性もあるので普通の大人なら進んでしないこと)にも果敢に挑戦することが必要なのかも知れない。

、、、ガクトコインかな?

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