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答えよりも「問い」

先日、ひょんなきっかけで「60代の有名なおじさんと70代の有名なおじさんが対談をしている本」を読みました。乱暴にまとめると、これだから日本はダメなんだ(日本人はダメなんだ)的なことを愚痴愚痴と上から目線で話しているような内容で、私は、読んでしまった自分が悪いのですが「答えをもっているひとは退屈だなあ」と思いました。説教臭いことを言う人からは、自分は正しい【自分は偉い】と思い上がっている奢りを感じてしまいます。多分、私は、答えをもっているひとよりも「問いをもっているひと」が好きなのだと思います。大袈裟な言葉で言えば、答えをもっているひとは止まっていて、問いをもっているひとは進もうとしている印象を覚えます。格好いいところだけではない、様々な葛藤や煩悩を抱えながらも、前に進もうとしている【強くなろうとしている・優しくなろうとしている・ひとを愛そうとしている】ひとのことが好きなのだと思います。

 

なぜ生きるのかという問いに対して、私は「それを知るために生きている【それを知りたいから生きている】」のではないだろうかと感じています。何かを知ったつもりになること、自分とはこういう人間なのだとわかったつもりになることほど、物事に対する新鮮な感動を奪うものはないと思います。逆に言えば、「世の中にはこんなことがあったのか!」という驚きや発見、いままでこうだと思っていたものがまるで違った側面も持っていたことを知る瞬間の喜びや感動、そして、いままで見たこともないような自分自身と出会えた瞬間【未知との遭遇】の中に、私は、生きていることのうれしさや醍醐味を覚えます。



by 坂爪さんからの記事

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